【W杯】日本人とブラジル人、コロンビア人
惨敗の後、メディアセンターが閉まる直前まで多くのメディアが働いていました。僕も仕事が終わった後、結局閉まる直前までセンターにいました。帰るとたくさんのコロンビア人に何と言われるか、それに僕と会うのは気を遣っていやだろうと思っていたからです。
帰ると、コロンビア人たちはみんなでかけていました。ブラジル人たちは僕をみると「オラ!」と一言声を掛けるだけでした。彼らはどの試合も見ていたし、まして近くでおこなわれている試合ですからテレビで見ていたはずです。だけど何も言わずに、僕が部屋に入っていくのを見ていました。
しばらくするとノックの音がします。「イエス!」と返事をしたのですが入ってくる様子がありません。もう一度ノックの音がするのでドアを開けてみると、最初に仲良くなった通称DJと呼ばれている若い子でした。いつも底抜けに陽気な彼が黙って僕を見つめて、ハグ。そして頷いて出て行きました。
その後はずっと1人で荷造りをしていました。23時過ぎに同室の、ただ1人ほとんど英語が話せない、55歳の男性が帰ってきました。彼は何も言わずに自分のベッドに入っていきます。きっと飲み過ぎたのでしょう。ちょっとごそごそやっていたかと思うと、コロンビア色の帽子をこちらに差し出します。目で持っていけ、と言っています。「グラシアス」と挨拶すると、にっこり笑って寝てしまいました。
24時過ぎに、男性の息子とその友だちが帰ってきました。彼らは「明日何時ごろ旅立つのか?」と聞いてくるので「5時には出て行くよ。君たちは寝ていると思う」と答えると、「これに何か書いてくれ」とユニフォームを出してきます。
ともに10番なのに名前が……と思っていたら、それぞれ子どもの名前なのだそうです。そこにはもう日本語でいろいろなメッセージが書いてありました。今まで日本人と飲んできたそうです。
「今は辛いと思うけれど、きっといつかいい日が来るから。僕たちはワールドカップにずっと出られなくて16年も待っていたのだから」
勝った後なのに、日本人を慰めてきたようでした。そして僕も彼らの辛かっただろう思いを察することができて、落ち着くことができました。まだ日本は本大会に出ているのですから。
ブラジル人もコロンビア人も、サッカーの勝敗できっと辛い思いをしてきたのでしょう。だからこんなとき、どうするのが一番いいのか知っているようでした。ありがとう。もしこのドミトリーに泊まっていなければ、きっと1人で悶々としていました。まさか勝った相手からこんなに落ち着かせてもらうなんて。帽子も大切にします。
彼らのユニフォームに何を書いたのかというご質問をいただきましたので。
「両親の言うことを聞いて元気に育ってください。また試合してくださいね」
と書いておきました。