【W杯】ドミトリーは貴重な経験……なんですけど
まずドミトリーの部屋がどんな感じなのか。
10上ぐらいの部屋に2段ベッドが3つ。大きさは日本にシングルと変わりません。オーナーがエアコンを施持ってきてセットしてくれました。周りはビニール袋でふさいであります。
夜9時に帰ってくると、8人ほど下のロビーにいました。ビールを飲みながらみんなと歓談。
今、クイアバは暑いのでドミトリーの中では結構裸がデフォルトです。
特に話し込んだのは、このメンバーの中では唯一英語が話せるカルロスさん。
それでもお互いに十分に通じたのかどうか……。世界中を回っていて日本にも来たことがあるという「旅人」も時々会話に参加してくれました。
話し込んでいると、一人がこんな料理を持ってきてくれました。すじ肉を焼いて、米の粉(?)を振りかけて食べるブラジル料理。
これが作ってくれた人物。
そのあと、彼の携帯のビデオに向かって同じことを言ってくれ、と彼と一緒に何か語ったのですが意味がわかりません。カルロスさんに「僕は何を話したのだろう?」と聞くと「うーん、説明しがたい」ということでした。まぁ、たわいもない遊びです。
さらにドミトリーの人がチーズも持ってきてくれて、これもおいしくいただきました。
こうやって話し込むのは、なかなか貴重な経験です。今回ドミトリーに泊まったのも何かの縁があったということでしょう。
さて、その中の会話で一番盛り上がった部分。僕が「ブラジルは優勝できると思うか」と質問すると、彼らは「えーっと、わからないけれど、今のままだとダメだろう」と結構悲観的です。では、「決勝ではどこと戦いたい?」と尋ねると——。
「うーん、ドイツかな」
「アルゼンチンだと盛り上がるな。最高だろう」
と言い合っています。
「最高じゃ無いんじゃないの?」
と聞くと不思議そうな顔をしているので、
「ウルグアイじゃないの? ウルグアイを倒して世界一が最高でしょう?」
そう言った途端、彼らの顔が変わりました。
「——そうだ、そのとおり。よく知っているな。ウルグアイを倒せばあの悪夢から解放されるよ」
一番歳を取っているカルロスさんにしても、1950年の母国のワールドカップを生で見てはいないでしょう。ですが、彼らの中に大きな傷として残っているのは、笑顔が消えて急に真剣な顔になったことでわかりました。
「そうだよ、ウルグアイだよ」
「ウルグアイがそこまで上がってきてくれないとな」
でも、そこからの会話はしばらくポルトガル語が続いてよくわかりませんでしたが、それまでとは別の盛り上がり方でした。
夜12時、そろそろベッドに入って寝ようかとするときに、6人部屋には僕1人。「これはオーナーが気を利かせてくれたのかな」と思っていたら、そこに3人がやってきました。
写真を撮ると言ったらみんないそいでユニフォームに着替えます。これが日本で言う呉越同舟か。日本の諺じゃないけど。
そしてなぜか朝起きると、さらにコロンビア人が2人増え、部屋の構成はコロンビア5人、日本人1人になっていました。すごくアウェイを感じています。