今だったら書いてもいいかな(でも)
鳥栖には、本当に苦しい時代がありました。
鳥栖フューチャーズが昇格を賭けて戦っているときもそうでした。鳥栖フューチャーズが解散したときの、何が真実で何がウソなのかわからない時代もそうでした。
サガン鳥栖ができたときは何もなかった。Jリーグから発足を助けるためにやってきていた熊地さんは、「サッカー関係者」ということだけでホテル代の前払いを要求されたそうです。そして床に座り、ベッドの上にプリンターを置いて作業していました。
応援CD作ったり、放送部ができたり、本ができたりしたのは本当にすごいことでした。すべてサポーターの手作りでしたから。サガテレビは採算度外視のノーコマーシャル、ノーカットで試合を放送してくれました。
その後、しばらくしてまたもおかしくなってきて、チームが遠征に出ているスキに監督を解任しようという動きが出たり、毎年の経営難騒ぎを当事者が「秋祭り」と表現したり、記者会見では恫喝まがいの発言があったり、何ら落ち度のない選手を契約期間中に解雇したり、監督が会社に立ち入り禁止になったり……。
あるとき、僕はどうしても許せないことがあって、それをインターネットの掲示板に書こうと思いました。事実関係をさらに調べて、冷静になった後に書くため、時間を予告して書こうとしていました。
だけど、そのとき僕に連絡をしてきたのは被害に遭っているはずの人たち。「それを書くとクラブが終わる。今は耐えよう」。そんな悲痛な訴えでした。
鳥栖が好きになること、イコール、辛さを受け入れなければならないこと。そんな思いをしていた人たちも多かったと思います。
いろいろ辛い思い出ばかりが思い出されます。もしかしたら、明後日だけは、そんな思い出は頭の中から消え去ってくれるかもしれません。
……だけどなぁ、こんなときにやらかしてきたクラブだから、ちょっと不安(笑)。
「おいおい、結局詳細は書いてないの?」というメールをいただきました。
そんなクラブだったと書きたかったのですが、そう言われりゃそうですね。
だったら書くか……と思って資料を整理してみました。いろいろ出てきます。会社のスタッフがどんどん切られていった経緯も、シーズン途中にも拘わらず何の落ち度のない選手がクラブを追い出されたのも、しかもその決まり方も、どれもすべて腹立たしいものでした。
まず、と書いてみたものの、よく考えたらこれって誰得なんでしょう。すでに対象者はみんなこの業界を退いています。しかもその後、こっぴどい目に遭った人もいます。
あ、そうか、その人がもう一度触手を伸ばしてきたときに書けばいいのか。 いろいろリアルな体験も残っていますし。だからとりあえずここでは概要だけで終わっておきます。思わせぶりでごめんなさい。もしもお知りになりたいときは、一番手っ取り早いのは鳥栖のゴール裏に行けば、きっと知っている人がいると思います。みんなニコニコしているけど、それはあんな時代も知っているからかもしれません。