【お悔やみ】森孝慈監督の思い出
森孝慈監督が日本代表を率いていたとき、日本は初めてワールドカップ目前まで駒を進めました。1985年、雨の国立で朝鮮民主主義人民共和国を破り、神戸で香港を撃破し、その後もしぶとく勝って韓国とのホーム&アウェイで出場枠を争うことになったのです。まずホームゲームが開催されました。10月26日、「曇り空の向こうにはメキシコの青い空が見えた」気になったものです。
ですが、その試合を1-2で落とし、11月3日のアウェイ戦も0-1で敗れて、日本の夢は破れました。しばらくの後、競技場でお見かけしたとき、森監督は、知り合いでもない私の「残念でした」と言う声に、奥さんと一緒に深々と頭を下げていらっしゃいました。その姿に、その場にいた友人と一緒にいつまでも頭を下げていたのを覚えています。
森監督、どうか安らかに。ご冥福をお祈りします。