【遠征日記 2】安心と落胆
最初に目指したのは気仙沼でした。ラモス瑠偉さんの訪問先は、これまでのご自身の知り合いから紹介されたところで、そこにいらっしゃる人数やメディアへの露出の多さなどとは関係ありません。なので体系立っていないのですが、人とのつながりを優先させるのはラモスさんらしいと言えるでしょう。
気仙沼に入り、角を曲がろうとしたところで橋村さんが「ここを曲がると変わりますよ」とおっしゃいました。
急に風景が変わります。曲がるまでは日常そのものです。ですが、すぐ隣にはこんな光景が広がっています。
この景色を見て、ラモスさんと橋村さんが同時に声を上げたのは「きれいになってる!!」。え?!
5月に来たときまでは瓦礫がいたるところに山積みになっていたそうです。震災の後最初に来たときは道路もふさがれている状態だったということでした。
車も集められていました。道路が確保されたことで、重機や運搬車が入れるようになり、撤去が進んでいるのでしょう。
鉄道が走っていた後です。トンネルは残っていましたが線路はありません。
その先にラモスさんたちが訪問している避難所がありました。
「300人いるんだ。どんどん食べ物を用意して!!」
袋を持って避難所に入っていきました。ところがそこにいたのは30人。ラモスさんたちが再会を楽しみにしていた人たちも、20人ほどの方とは会えたのですがほとんどはいませんでした。
どうやら仮設住宅ができて、みんなそちらに住むようになったとのことでした。避難所はプライバシーが少ない場所ですから、それはよかった。でもせっかく持ってきたので、ぜひその仮設住宅の人たちにも分けてほしい。
それはダメだ、ということでした。仮設住宅の人たちは自立しているので、それは自分たちで配るしかない。避難所の担当者から呼びかけることはできない、ということでした。おいおい、こんな事態になっているのに、そこまで杓子定規にやらなければならないのか。ラモスさんじゃないけど、思わず「アホか!!」と言いたくなってしまいました。
気仙沼ではもう2カ所回る予定でしたが、1つの場所はもう全員仮設住宅に入って誰もいなくなったそうです。なので残る1つの避難所へ。
ここもずいぶん人が減っているということでした。みんなが仮の住まいでも移るのはいいことです。ですが、これまでにできた人のつながりは、あっさり消えていこうとしていました。それでも知り合いの顔を見つけてほっと一息しているラモスさんでした。