【闘病日記】発熱から入院までのまとめ

今回、なぜこんなことになってしまったのか、リハビリも兼ねて記録として残しておこうと思います。

最初に違和感を感じたのは3月29日(火)。朝、長距離バスに乗って大阪を目指したときでした。

この週はDVD付きムック「Jリーグ・レジェンド サポーターが選んだ名古屋グランパス名勝負」 の入稿週。忙しかったのですが、この日の「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティマッチ」ではどうしても書きたかった原稿をサッカーマガジンに掲載してもらえることになり、ムックの苦しい部分を六川亨さんに押し付けるようにして旅立ちました。

その行きのバスの中、パンを食べて寝ていたのですが、どうもおなかが張って気持ちが悪い。てっきり車に酔ったのだと思っていました。 

さて、試合が終わり1泊3500円という激安ビジネスホテルにこもって、この日が締め切りという原稿を書き上げたのが夜2時。朝6時30分にチェックアウトする予定だったので、ホンの一杯ワインを飲んで寝たのですが、この時点ではほとんど違和感がありませんでした。

続く3月30日(水)、早朝のバスに乗り、中で原稿を2本書いて夕方に帰宅。そこから作業が始まって終わったが0時。この時点でもまだ元気でした。でもおなかがちょっと張っているかな、という感じ。この感じはこの後ずっと続きます。

3月31日(木)は朝から次の出版に対する打ち合わせと、「Jリーグ・レジェンド サポーターが選んだ名古屋グランパス名勝負」 の状況確認を終え、帰宅して最後に残ったページの原稿を待ちます。ところがこの原稿が来ない。待っている間にだんだんと寒くなって、体温を測ってみると38度超え。ふとんの中でぶるぶる震えながら待っていたのですが、結局半分しか来ませんでした。ピーンチ!!

4月1日(金)、校了日を迎え原稿が来ない2ページを抱え朝から大車輪。その他4ページ分のレイアウトを調整してなんとかほっとしたのが深夜近く。もう昨日の寒さなんか通り越してぶるぶる震えてました。耳まで覆わないと寒くて寒くて、でも今週ハードだったからなぁ、と1人で納得。

4月2日(土)、川崎と横浜FCの練習試合を取材。いつもどおり試合開始3時間以上前に着いたけど、そのときにはすでに熱が高かったみたいで自分で元気がないのがわかっていました。45分×3本を見届け、選手に移しちゃ悪いと早々に退散。身体が冷え切っているせいだと思ってお風呂に1時間ぐらい使って身体を温めて寝ていました。

4月3日(日)、ここまで手持ちのクラビット500mgを飲んで様子を見ていました。このクラビット500mgは炭そ菌攻撃にも効くと言われている抗生物質で、海外だと最後の手段でこの薬を飲んで治しています。ちょっと気分が良くなっている気がしてこの日は自宅で安静にしていましたが、また耳まで覆わないと寒くなってきました。このとき計った体温が40度越え。下痢が始まって、ダメだ、こりゃ。来週の「Jリーグ・レジェンド サポーターが選んだ名古屋グランパス名勝負」の校了を人にお願いして休むことにしました。

4月4日(月)、行きつけの病院へ。血液検査をしてもらったらCRP値が8.0と高く、でもその割には白血球の数が少なかったので、菌に感染しているから点滴で抗生物質を打ちましょうということになりました。先にクラビットを使ってしまったので、もう原因の特定は難しくなったからまずは袁紹を押さえようということです。ところが帰ってから再度熱が40度を超え、うんうんうなることに。 

4月5日(火)、この日も朝から点滴を打って寝てました。あまり良くなっている気がしません。

4月6日(水)、また朝から点滴を打ったのですが、熱は38度以上に張り付いたままであまり体調に変化がありません。明日から抗生物質の種類を変えて、経口薬も併用することになりました。

4月7日(木)、どうしても外せない打ち合わせがあって都内まで。熱があるのはわかっていましたが、38度が1週間も続くと身体も慣れてきて何とか動けます。それでも帰りの電車でこんなに深く寝たことはないくらい熟睡。帰ってきて病院に行き、おなかの張りと痛みが出てきたことを話します。

4月8日(金)、朝起きると熱は37.7度まで下がりました。病院で注射を打ってもらって帰宅しましたが大きな変化は感じられません。おなかはますます張ってきました。

4月9日(土)、朝から病院に行っておなかの痛みを言うと、すぐに大学病院に電話をかけて紹介状を書いてくれました。そのままの足で大学病院へ。すぐに診察してもらい、血液検査、レントゲン、造影剤付きのCTと流れ作業で検査します。土曜日ということもあってCTを撮ってから再度診察してもらうまでに1時間程度経過したのですが、部屋に入るとすぐ、イケメン医師がさくっと言いました。
「結論から言えば急性虫垂炎でした。CTで見るとこの大きなものが虫垂で、これは明らかに大きくなっています。手術をするか、薬で散らすことになりますが、薬で散らすといってもしばらく薬を投入しても改善されなければ手術です」

この話をされたのが13時30分。
「あの~、では一度帰って入院の準備をしたいのですが」
「いや、それは他の人にやってもらってください。あなたにはこれからいろいろな説明があります」
とりあえずいろんなところに電話して、一通りの説明を受けて病室に行ったのが14時30分。 すぐに注射を打ったりむだ毛の処理をしたりして手術の準備が始まります。

点滴をぶら下げながら歩いて手術室にやってきたのが15時30分。横たわって手足を縛られて、「はい、麻酔薬が入りますよ~」と言われてすぐに意識無し。

手術は2時間30分ほどだったそうです。傷口は約8センチ、9針。通常の盲腸の手術に比べると大きいのは、ずいぶん化膿していたためで、お医者さんが翌日親指2本をくっつけて「これくらい大きかったですよ~」と話してくれました。

ハッキリ覚えているのは、麻酔から覚める前に、とても幸せなサッカーの夢を見ていたこと。看護婦さんから名前を呼ばれたときに思わず「起きたくないなぁ」と思うくらいでした。目覚めて手術室から病室に移動するとき、看護婦さんに「しまった、一緒に脂肪吸引をやってもらえばよかった」と言ったのは、狙ったのではなくてマジで思ってました。 

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