いってらっしゃい巻選手

今日は千葉vs大分の試合取材と、巻選手の挨拶を見に行ってきました。

試合前に探しに行くと、
「いろいろあって、移籍することになりました」
と顔を見かけてすぐ巻選手が話しかけてきてくれました。
——昇格が決まる試合にはJ1の優勝が決まる試合と重なっても来るように、と言ってもらっていたのにね。
そうですね……。

ちょっとしんみりしそうだったので、話題を変えました。

——ロシアリーグに行ったら体格が同じような選手が多いんじゃないですか?
いや、それがみんなすごく大きいんですよ。僕はサイドバックの選手よりも小さいんです。
——これからは新しい感覚でもプレーできるんですね。相手の下からくぐってゴールするとか。
そうですね、ちょっと楽しみです。
——起きたら庭に白熊がいるとか、そんな感じだったりして(笑)。
いや、それは無いと思いますけど、ハンティングはできると言われましたよ。ライフル持って。ハントの腕も上げてこようかと思っています。ゴールハントの腕と一緒に(笑)。それで戻ってきますよ。
——戻ってきたら年俸がガーンと上がるくらいの活躍でね。
そうですね。でもジェフの経営を圧迫しない程度の額でいいんですけどね。
——ところでアムカル・ペルミってどうやって行くの?
モスクワから2時間ですよ。みなさんで来てください。
——2時間って車?
いいえ、飛行機です(笑)。
——日本に近いところのチームと対戦することはないのかなぁ。
日本の近くにもクラブがあるそうなんですけど、2部らしいんですよね。だからやっぱり来てもらうのが一番ですよ。
(試合前の部分の会話は録音していなかったので、話を終わった直後にメモしたものを掲載しています。一字一句が正確ではないかもしれません)

とても和やかな表情のまま、巻選手は語っていました。そして「ちょっと挨拶がありますから」とスタジアムの中に入っていきました。

さて、試合が終わり、両チームの選手が引き上げ、そして千葉の選手が着替えて現れてから、千葉のユニフォームに身を包んだ巻選手がやってきました。スクリーンで巻選手のクリップが流され始めると
「やばい、見たら泣く」
と後ろを向いてしまいました。
思わず
「見たほうがいいよ」
と声を掛けると、巻選手はゆっくりと振り向いて自分の映像を見始めました。見て数秒も経ったでしょうか、目からボロボロと涙がこぼれ始めてしまいました。
「やばい」
巻選手は再びそう言うと、入り口から離れて呼吸を調えます。その様子を見ていたチームメイトは「巻、もう泣いてんの? 早過ぎだよ!!」とはやし立てて湿っぽいムードを吹き飛ばそうとしますが、巻選手はなかなか大きな息ができません。場内アナウンスで名前がコールされたのに、そんな状態だったからなかなか出ていけませんでした。

やっと出ていった巻選手は
「巻誠一郎です。まず試合が終わっても残ってくださった大分のサポーターのみなさん、ありがとうございます。こういう気持ちの入ったゲームを見せていただいた選手のみなさん、本当にありがとうございました。そして最後に、こういう試合を見せてくれたサポーターのみなさん、本当に××××」から始まる長いスピーチを終え、場内を一周しました。

巻選手が場内を廻っているとき、僕はついて回らずに、どうしても感謝を伝えなければいけないと思っている人を探していました。

それは巻選手の奥さん。とても小さな、可憐な方でした。それから周りのみんなに「ありがとうございます」とずっと頭を下げている人でした。
——実は僕は昔、巻選手が苦手だったんです。
そう話しかけると、奥さんはちょっと不思議そうな顔をなさいました。
——ですが、巻選手が、結婚して奥さんから態度を諭されて昔とは違う人間になりました、というので話を聞いてみると、本当に変わっていました。たぶん僕がこうやって巻選手と話ができるのは、奥さんのおかげだと思います。ありがとうございました。

奥さんはちょっとにっこりしてくださいました。僕もやっと感謝の言葉が言えてほっとしました。ちょうどそのとき、巻選手はゴール裏のサポーターの前に来て
「みなさん、あとは任せました」と思いを吐き出していました。

スタジアムの中に戻り、テレビのインタビューを受け、記者の囲みを終えて、もう誰も質問が残っていないのを確認して、巻選手は子どもが寝ている控室に消えていきました。

この日、ずっと気になっていることがありました。それは巻選手にとって千葉というクラブは何だったのだろうか、ということです。好きでたまらなかったクラブから途中で移籍せざるを得ない状況になって、はたして、それでもそのクラブを好きだと言えるとき、巻選手にとってクラブが象徴しているものは何だったのか。

巻選手に直接答えを聞くことはできませんでした。ですが、きっと巻選手にとってはサポーターやファンがクラブを象徴しているものだったのでしょう。だから彼は最後まで千葉をマンチェスター・ユナイテッドやバルセロナと同じような、偉大なクラブだと思うことができたのだと思います。そして、だからこそサポーターやファンのみなさんも巻選手を愛して止まないのでしょう。

僕には今年千葉が昇格したとしても、何か大きな穴がぽっかり空いてしまっているままになりそうな気がしてなりません。それは巻選手が望むことではないのでしょうが。

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