サッカーマガジンの鄭大世選手の記事のちょっとした補足

今週のサッカーマガジンに鄭大世選手の記事を書かせていただいてます。

鄭大世選手は川崎時代と変わっていないようで変わっていました。あまりリキまなくなったかな。それだけ心にゆとりが出てきたということでしょう。闘志は変わっていないけれど、から回っている感じはありませんでした。

さて、そのサッカーマガジンの記事の中で、本筋とは違うので大幅に経緯を省略したため、疑問に思ってもわからない部分があると思います。それは鄭大世選手が2005年の日本vs北朝鮮を埼玉スタジアムで見るだけだったという下りです。国籍問題を抱えていたということについては、それだけで本を書けたりします(笑)。
大世 チョン・テセ BIG WORLD (単行本・ムック) / 森 雅史 著
大世 チョン・テセ BIG WORLD

えっと、自分の本を紹介して少々気恥ずかしいのですが、その中でじっくり書いたことをおおざっぱにかいつまんで説明しておきます。

お父さんが韓国籍で、お母さんが北朝鮮籍の大世選手は、日本の法律から言えばお父さんの国籍である「韓国」が外国人登録証の国籍欄に書かれています。でも、朝鮮半島の南北対立が始まる前は、その国籍欄にはみんな「朝鮮」と書かれていて、韓国籍を取ったり、変更しようと思った人だけが「韓国」に変わっています。

つまり、変更の手続きをしなかったり、北朝鮮を選んだ人たちはみんな「朝鮮」と書かれたままです。じゃあ、その外国人登録証に「朝鮮」と書かれている人を日本はどう扱うかというと、北朝鮮とは国交がないので、法律上は存在しない国になってしまうため、「韓国」と書かれているのと同じ対応になるのです。

となると、外国人登録証の国籍は意味がなくなって、しかもFIFAはパスポートを持っていればその国の代表になれる(他の国の代表としての一定時間以上の出場がない限り)という立場なので、あとは北朝鮮が大世選手にパスポートを出せるようになるか、出してくれるか、という問題になってくるのでした。

もちろんそこも一筋ならではいかないところだったのですが、ともかく北朝鮮がパスポートを出して、FIFAが承認したので鄭大世選手は北朝鮮代表として6年前の絶望感を払拭して、(たぶん)次の日本戦のピッチに立てるのでした。

川崎時代にACLでピッチに出られるかどうかドキドキしながらスタジアムに向かったこともあったそうです。誰にも言えず一人だけで問題を抱え込んで、それは試合前にちょっとかわいそうだったと思います。

この大世選手の取材で知り合った方々と、今お会いしたりオンラインで会話したりするときに言い合うのは「前回(2008年東アジア選手権)は引き分けだったから、今回はホーム&アウェイできっちり決着をつけましょう!!」ということ。正々堂々とぶつかり合いたいものです。もっとも3次予選だから、ともかく最終予選に行くためにはどうすればいいか、というお互いの駆け引きもありそうですが……。

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