2011アジアカップの旅44 そこは深夜の暗いトンネル
イラクvs北朝鮮は1-0でイラクが勝ち、すでに決勝トーナメント進出を決めているイランに引き続き、イラクが準々決勝に進出しました。
ということで、鄭大世選手は明日、ドイツに向かって旅立ちます。自分がいない間にチームは勝っているものの、ということはコンディション次第で先発を外れる可能性があるということ。しっかり調整してほしいものです。
そして、つまりこの日がカタール最後の夜。これはコメントを聞かねば!!
ミックスゾーンで待っていると、いつものように北朝鮮の選手はみんな揃って通っていきます。梁勇基選手が通り、安英学選手が通り、そろそろかな——いつもテレビのところでたっぷり時間がかかるから——と思っていたら、あれあれ? 北朝鮮の選手バスが出発してしまいました。
鄭大世選手はドーピング検査対象選手になっていました。これは時間がかかるぞ−。だって鄭大世選手はいつも絞りに絞っていて、お酒を飲んだりしても寝る前に走って汗をかいて体を絞ってから寝るくらいですから。
ですが今日はどうしても会っておきたい。待つことにしました。
しばらくすると係がやってきて冷たくいいます。
「これで僕の役割は終わり。あとは選手次第。3時間ぐらいかかるよ」
「だけど、検査が終わった後は必ずここを通りますよね」
「確かにここは通るよ」
「じゃ、待ちます」
待ちます。待っているのは中国とオーストラリアのテレビ局、そして日本の新聞社が2社、ミムラさん、それから僕。明かりも次第に落とされ、寂しくなってきました。
今日は帰れるかな。そう思っていたら、別の係員が来ました。
「ここはクローズします」
「クローズって何?」
「クローズはクローズ」
「選手はどこを通って帰るの?」
「それはわからない。でもここはクローズ」
「いや、コメント取るためにずっと待ってたんだから」
「でもクローズ」
するとさっき「もうこれで僕の役割は終わり」と言っていた係員がやってきました。つかまえて話しかけます。
「ここクローズするって」
「え? 誰がそんなこと言ってるの?」
「あの係員」
「いや、そんなことはないはずさ」
「ちょっと確認してくれませんか」
彼は急いで湿ると言っていた係員をつかまえました。そして上司らしい人と3人でケンケンガクガクやってます。しばらくして僕たちの側にやってきて「ノープロブレム」と一言。助かった。
さてさて、思っていたほど遅くなることもなく、鄭大世選手は出てきました。中国とオーストラリアのテレビのインタビューを終え、日本の報道陣の前にやってきたとき、北朝鮮のスタッフがやってきて「行くぞ」と大世選手を連れて行こうとします。
大世選手はすっかり暗くなった寂しいトンネルのようなミックスゾーンに僕たちがいたことで事情を察してくれたのでしょう。係員の人に一言何か言って立ち止まってくれました。あまり長い時間は話せなかったけど、とりあえず聞きたかったことは聞けたかな。
ところで、「僕の役割はもう終わり」と言っていた係員は「ノープロブレム」と言った後、どうしたか。実は、ずっとその場に残って僕たちの取材が終わるまで付き合ってくれたんです。きっとクローズするって言ってたのがこの場の担当で、もう帰るから締めようとしたんです。だから彼が代わりに残ってくれたんでしょう。役割、終わってないじゃん。ありがとう。