もらっておけばよかったのは……
いつもどおりの時間にいつもどおりの場所でトレーニングだが、確定したのはこの日の3時だった。
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ついに遭遇、ぼったくりタクシー。
ハノイでタクシーを拾うとき、現地の人に言われていたことがある。
「普通乗用車のタクシーは営業範囲が広いし、ホテルなどに乗りつけることが多いので安全だけど、軽自動車のタクシーは営業範囲が狭くて、遠いと知らない道を走るから遠回りすることもあるし、ぼったくりもある」
それでもちろん普通自動車のタクシーを拾った。
陽気な運転手で、こちらに来てから乗ったタクシーの中ではとてもいい雰囲気だ。
「あなたどこから来たの? 日本ですか?」
「そうです、私、日本生まれです」
「私はベトナムの田舎の生まれです。ハノイは美しい町ですね」
「はい、ハノイはとても美しい」
「子どもはいますか」
「はい、一人います」
「いつからハノイにいますか」
「5日に来ました」
もう完全に英会話の教科書状態。でも一通りの会話ができるので安心だ――と思ったのもつかの間。
「この建物は駅ですか?」
「はい、駅です。ここからベトナムのいろんな場所に行きます」
だが駅を右手に見て道路を走っているということは、南下しているということだ。タクシーを拾った場所から練習場は北西だったはず。なぜ南へ? しかもまだ南下しようとしている。
鞄の中から地図を取り出して通りの名前を確認すると、やはりおかしい。
こちらが地図を見ているのをちらりと振り返って見た運転手は態度を急変させた。急にクラクションを鳴らし始め、右折して西に向かって走り出しました。
「これって何通り?」
「は? は?」
いきなり英語が分からない素振り。
「どうしてここを通ったんだ? あのまま北に行けば広い通りがあるのに」
「バイクがたくさんいて混んでいるんだよ」
「いいや、毎日通っているけどそんなことはないよ」
「それは別の道だよ」
「毎日通っていると言っただろう? いつも8万ドンぐらいで到着するぞ」
「オケー、オケー、今走ってるから」
「遠回りしているだろう」
「は? は?」
「だまそうとしてるだろう」
「は? は?」
運転手は顔面蒼白、必要以上にクラクションを鳴らし続け道路をひた走る。それでもまだホテルから5分の距離ですでに6万ドンだ。しらばっくれようとする姿にちょっと頭に来て、意地悪を思いついた。
「あぁ、お前がそんな態度なら、オレはコーディネーターから警察に連絡してもらうよ」
「……」
おもむろに携帯を取り出して話して、すべて日本語で話し始めた。もちろん素振りだけなのだが。ついでに日本語で怒鳴りつける。
ルームミラー越しに運転手を覗き込むと、どんどん運転手の顔が白くなっていく。あまりに慌てていたのか、運転手はバイクとぶつかりそうになった。
「こら!」
つい日本語で怒ったのですが、余計にタクシーはスピードを上げ、練習場の前に到着した。
「あの緑のゲートに行け。あそこには警察がいるから」
確かに警察はいる。だけど、それはADカードを持っていない人を通さないためだ。
ところが運転手にとっては最高の脅しだったようで、警察がいるゲートから約10メートル離れたところに丁寧に車を横付けして、止まった途端に客席のドアを開けに走ってきた。メーターに映っている料金は15万ドン。ほぼ倍額。
「いくらほしい?」
「……12万ドン」
「いくらほしい?」
「……」
「ふーん、じゃあ」
と9万ドン渡しました。
「あと2万ドンください」
「ノー」
かなり意地悪く言う。
すると運転手は思ってもみなかったものを取り出した。
「じゃ、じゃあ、このドルを両替してください」
彼の手にはくしゃくしゃになった1ドル札が4枚握られている。
思い当たったのが、このドルは偽札じゃないかということだ。もし偽札なら両替して持っていたり、使ってしまったりするとこちらの罪にもなりかねない。
「ノー。カム・ウィズ・ミー」
そう言って門の方に歩いていこうとすると、タクシーの運転手はぶっ飛ばしてきたときよりも速いスピードで逃げ去っていった。あとでホテルのドアマンに聞いて見ると、「その道を通らなければならないことはありません」つまり「ありえね~」ってこと。
ところで、この話で後悔していることが2つある。一つは偽ドル札をきちんと見せてもらえばよかったと言うこと。話のネタとしてはおもしろかったのに。もう一つは領収書をもらい忘れたこと。こら、運転手、オレの9万ドン(約630円)を返せ~、というか、領収書は置いていけ~。