「『人は変われる』と言われる日まで…町田で再起をかける金明輝の挑戦」掲載
「J論プレミアム」様に「『人は変われる』と言われる日まで…町田で再起をかける金明輝の挑戦」が掲載されました。
「最初に2年前、2021年の話からですか。
今もね、改めて……やっぱりたくさんの方々にご迷惑をかけたという……部分があります。選手にしても……サガン鳥栖というクラブに対してもそうですし……自分は未熟だったっていう認識でいます。
S級ライセンスからA級への降級だったり……サガン鳥栖を辞めざるを得なかったっていうことで、やはり……心苦しいというか、まあまあいろんな複雑な気持ちが交錯しましたし、やっぱりね……家族、周りの人たちにすごい迷惑かけて……そういった部分もあったので。だから辞めたあと、長い間、分かってはいても、なかなか立ち直れなかったっていうのは……はい、ありましたね。
2011年に鳥栖で選手を引退して、鳥栖のスクールコーチとして拾っていただいてから指導者としてのキャリアが始まりました。鳥栖に住んでジュニアユースのコーチ、監督をして、ユースの監督になったのです。ユースの練習場は佐賀市内だったから、ユースの監督になったときに住居も佐賀に移しました。やっぱり寮の近くに住んでないと、なかなか私生活まで含めて選手を見られないということで。
それでもね、問題起きたときすぐに対応できるかという懸念があったので、ユースの寮で寝泊まりするようにもしました。それぐらいの気構えがないとユースを教えてはいけないと思いました。……」