「サッカーは自分を証明するものだった…田坂和昭が『人と違う見た目』から得たものとは」掲載
「みんなのごはん」様に「サッカーは自分を証明するものだった…田坂和昭が『人と違う見た目』から得たものとは」が掲載されました。
「僕が苦しかったときはいっぱいありますね。
幼少期から苦しい思い出しかないですよ。僕は2歳ぐらいで髪の毛が抜けたんです。Jリーガーになったあと、広島出身だから被爆した影響だと一時期報じられたんですけど、それは関係ないんですよね。生まれたときは髪の毛があったから、病気だと思うんです。
結局、原因は調べませんでした。幼稚園ぐらいまではいろんな病院に行ってたんですよ。親に連れられて、広島の中でもいい病院と言われるところに行ったり、九州や大阪にも行ったり。でもそういうのがイヤで、面倒くさくなっちゃって止めたんです。
今はスキンヘッドの人を街で見かけるのは珍しくないですけど、僕たちの年代ってあまりいなかったじゃないですか。珍しかったから、小さいころからずっとバカにされてたような感じで言われてました。まず最初に苦しいと思ったときって、そこですね。……」