「サッカー選手を挫折した先で道が開けた…役者・川平慈英はなぜニュースステーションに出演していたのか」掲載

「J論プレミアム」様に「『オレは終わりなんだ』と涙が止まらなかった…小林悠が川崎フロンターレで感じていた葛藤とは」が掲載されました。

僕の人生、これまでで一番きつかったのは、やっぱり大学4年生のときに右ヒザをケガしたことですかね。最初に左足の中足骨を骨折したんです。3カ月ぐらいかかって復帰したのに、その試合で今度は右ヒザ前十字靱帯を断裂しちゃったんですよ。

大学3年の2月に川崎フロンターレの宮崎キャンプに参加させてもらって、そのあと麻生グラウンドでの練習試合にも出ました。その練習試合では、もうフロンターレ入りが決まってた同期の楠神順平も出てたんですよ。その練習試合でゴールも決めたし、自分でも手応えを感じることができたし、それに「ここでやっていきたい」という気持ちにもなりました。内定をもらえて本当にうれしかったですね。

進路が決まったから、大学4年になったときはユニバーシアードに日本代表として出ることが目標でした。でも大会直前の海外遠征のときに中足骨が折れて、そこで大学での夢が終わってショックがめちゃくちゃ大きくて。それで復帰した試合で前十字でしたからね。「またか」「こんなに続くんだ」って。……