「真面目に生きるべきだった…田原豊はなぜサッカー界を飛び出したのか」掲載
「J論プレミアム」様に「真面目に生きるべきだった…田原豊はなぜサッカー界を飛び出したのか」が掲載されました。
「鹿児島実業高校からプロに行くとき、チームを決めるのに監督から職員室に呼ばれたんですよ。「どこのチームに行きたいんだ?」って聞かれて「うーん」と迷ってたら、「行くと決めたチームならどこでも行けるぞ」って。本当かどうか分からないですけどね。
それで自分のプレースタイルを考えて、どうやったら得点が取れるか考えたんです。自分って個人技で打破してシュートを打つタイプじゃなくて、誰かパサーがいてこそ自分が生きると思ったんですよ。そうやって自分を一番生かしてくれるのは誰かと思ったら、中村俊輔さんだと。それで横浜F・マリノスに入ることになりました。
2001年ですかね、いや、2000年かな。2000年ですよ。いや、やっぱり2001年だ(笑)。何年だったかあんまり覚えてないんですよ。よく考えたら引退してからまだ9年しか経っていないのに、もう10数年経ったつもりでいましたから。そう言えば2000年の時は強化指定選手(現・特別指定選手)としてアビスパ福岡に行ってました。結局1試合も出てないですけどね。
2001年、開幕戦はスタメンじゃなかったけど最後に8分間出たんです。その後も途中出場が続いたあと、5月6日の第8節、柏レイソル戦ではスタメンでした。7月7日の第13節、ジュビロ磐田戦ではフル出場して。……」